
| ふすまの歴史 |
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日本の気候は、夏の高温多湿が特徴の一つである。古代以来蒸し暑い夏をいかに過ごすかに悩み、住まいにさまざまの工夫をこらしてきた。 「 家の作りようは 夏をむねとすべし 冬はいかなる所にも住まる |
| 和紙と建具 |
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障子という言葉は、もともと隔ての意で、屏風・衝立・御簾・など間仕切りのの総称であった。 一本の樋(溝)を設けて落とし込んだ、取り外し可能な張り付け壁の副障子が基となって、のちに鴨居と二本の樋を設けて開閉して通り抜けができる、通入障子(鳥居障子ともいう)が工夫された。いわゆる引き違いの通入障子が、遣戸(板戸)や襖障子の考案につながった。遣戸は廊下と室内の間仕切りに、襖障子は室内の間仕切りに使用されるようになっていく。 |
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絹織物は高価であり、紙漉きの隆盛にともない、徐々に絹布に代わって紙が貼られるようになっていった。当初は「唐」からの舶来品の、紋様や図案が雲母で擦り込まれた厚手の「唐紙」が使用された。平安時代に入り、製紙の技術が格段に向上して、雁皮を原料とした厚様の紙が漉かれるようになって、唐紙も国産化されるようになった。 『八条相国日記』の天政二年十月(1124)の条に、 「唐紙屏風二帖・・・」とあり、 「正式の座敷の障子には絹を張るべきだが、今は唐紙で代用している。」(意訳)とある。 『長門本平家物語』平兼隆被討(1180)の条には、 「火白くかきたて、からかみの障子を立てたりけるを、細目にあけて・・・」とある。 藤原家良(1191〜1264)選の『新選六帖』には、 「今宵さへ ことしげしとて逢ふことを 違へ遣戸の立てる からかみ」 と詠んでいる。 主に絹布を張った襖障子に「からかみ」を張った障子を「からかみ障子」と呼んだ。 |
| ■源氏物語とふすま障子
『源氏物語』は、紫式部という宮廷の才女によって書かれた、一大長編物語であり成立は一〇一一年頃である。『源氏物語』の中に、 「開きたる障子を 今少しおし開けて ・・・ こなたの障子は引きたてたまいて」 と、あり |
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明かり障子のすばらしさは、壁や遣戸のように外界との遮断をせず、外界の雰囲気を、光と陰で豊かに取り入れ、住む人に自然との融和の中での安らぎを与えている。 明かり障子の発想は、まず遣戸の杉板の代わりに、薄絹を張り採光を果たしたと思われる。 治承二年(1178)の『山槐記』には、六波羅泉殿の寝殿や広庇について、「庇の明かり障子を撤去する」とか「明かり障子を立つ」などと記されている。 南北朝時代の観応二年(1351年)に描かれた、真宗本願寺覚如の伝記絵『慕帰絵詞』に、僧侶の住房に下半分を舞良戸仕立てにした、腰高障子が二枚引き違いに建てられているのが描かれている。 鎌倉時代以降書院造り建築が増えるにつれて、明かり障子が普及していった。『大乗院寺社雑事記』には、長禄二年(1458)十二月の条に、障子用として厚紙一三○枚を用いたとの記録がある。毎年の歳末には障子紙を張り替える習わしであった。 |